法華経による先祖供養の行践を根本教義とする。在家信徒として、大恩師・宮本孝平並びに会主・宮本ミツが、終生唱えた忍善を日常の基本精神とし、懺悔を自己向上の道として、人格完成に努力する。佛・国・土、一切衆生、父母に対する報恩感謝を生活の規範として、家庭円満、幸福と、社会の教化を図る。個々の安心立命、現世安穏成佛から社会の繁栄をもたらし、佛道楽土の建設を目的とする。

先祖供養(せんぞくよう)

私たちは、お父さん、お母さん、それにおじいちゃん、おばあちゃん・・・・ずっと代々のご先祖さまがあってこの世に生を受けました。

一本の木にたとえると根っこが先祖、私たちは幹、そして子孫は枝葉です。根が養分を吸収し、そのおかげで幹や枝葉は盛んに繁ります。強い風が吹いても根が支えてくれるので倒れずにいられるのです。私たちのご先祖も私たち子孫のことを守ってくれています。そのことを忘れずに、感謝を持ちつづけることが大切です。

どんなに根が栄養を吸収しても、幹が枝葉にその養分をきちんと通さないと枝葉は弱ってしまいます。私たち幹は、根から枝葉に栄養を通す大事な役目があることを忘れてはならないのです。

また、先祖である根に孝養を尽くすのが供養です。供養は回向とも言いますが、感謝のこころで先祖に供養を向け、その善行がわたしたち幹の栄養となり、さらにその養分を子孫である枝葉に向けるのです。これが先祖供養なのです。

先祖供養のもう一つの意義は、思いやりの心をつくり、育てることです。私たちは、相手のことより自分のことを優先してしまいがちです。しかし供養することで目に見えない先祖を思ってみる。目に見えないものを思う力が出来れば目に見える自分の周りを思いやることはたやすいことです。

忍善(にんぜん)

昭和38年(1963)に宮本会長(当時理事長)は「核兵器禁止宗教者平和使節団」の一員として欧米を歴訪しました。その帰国後、宮本会長は大恩師が遺された「人の善を行うには必ず忍を要す。小善には小忍あり、大善には大忍を要すべし。花咲かんと欲せば嵐襲う。月出んと欲せば雲かかる。忍善を行わんと欲せば必ず悪来たりてこれを邪魔す。日輪下界を照らさんとせば悪雲これを覆う。世に正道まさに広まらんとせば悪道大いに振るう」のお言葉で表された「忍善」を妙智會の独自性と宣明いたしました。

忍善とはよいことをするときは、事物に動かされず心を安穏にし、いろいろな障害が押し寄せても、怒らず、愚痴を言わず、欲を出さず、乗り越えることだと受け止めています。そして、小さなことであっても、小さい我慢、努力が必要であり、大きな喜びには、大きな苦労、我慢が必要であるとしています。

昨今の世の中を見ると、地域紛争など争いが絶えません。それはお互いに相手のことをいたわる心を失っていることが要因の一つだといえます。平和を築こうとするとき、大きな努力と寛容な忍善の精神が必要です。

懺悔(ざんげ)

真の懺悔の行いとは、単なる罪の告白ではなく、仏性を洗い出し、仏性を磨き上げることです。

仏教ではすべての人に仏性があり、どんな悪い人でも仏の心をもっていると説いています。しかし、残念なことに人がよい行いを続けるのは容易なことではありません。思い違い、心得違いで知らずにたくさんのあやまちを犯し、欲の心、愚痴、不平や怒り、そして怠けなどで人はまわりに心配や迷惑をかけてしまいます。人間はよい行いよりも、つい悪い行いをしてしまい、せっかくの素晴らしいこころを持っていても、しだいに汚れてしまうのです。こころが汚れてくると人の話に耳を貸さず、人の悪口を平気で話し、悪い考えや行いなどをしてしまいます。人と人との関係に不協和音を生じさせ、争いや苦しみをつくってしまうのです。そして、自分やまわりの人たちを不幸にしてしまいます。

そのような原因になる心の汚れを落とし、輝きをよみがえらせることが出来れば自分やまわりの人たちも幸せになり、さらには神仏の御心にかなうことができるのです。そのためには、悪いことをしたら、見栄や体裁を捨てて、自らの非を率直に認め、素直にわびることです。そして、汚れの元がなににあるのか、自分の心を省みて、自覚し、あやまちを繰り返さないことが大切なことです。

感謝(かんしゃ)

「ありがたい」「もったいない」「おかげさま」、そして「尊い」、このこころが感謝のこころです。しかし、「もっとほしい」「あたりまえだ」というこころは感謝の心を失わせてしまいます。

私たちは自分ひとりだけで誕生することも、成長することもできません。神仏のご加護のもとに先祖や、両親や兄弟に愛され、また、たくさんの人たちに助けられて生きているのです。そして、自然から多くの恩恵をうけ、その環境のなかで私たちは育まれています。一つの存在はあらゆる存在と連動し、互いに助け合うように出来ているのです。また、なにものにも生命があり、精と魂があります。これを信じ、尊ぶことによって感謝はいっそう深められるのです。このことを忘れずに日々生活をすれば、自分が満ち足りているにもかかわらず、欲にかられて不満や愚痴をいっていることを知ることができます。そのことを反省し改め、すべてのものにたいして「ありがとう」のこころを育みながら、そのこころをすべてのものに向けたいと思います。