バラックに住む
 私の主人は応召兵で、八丈島に駐屯していましたが、終戦の年の暮、東京に帰ってきました。住む家もないので、古材を譲って頂いて、バラックを建て、六畳の広さの部屋に、三畳分だけムシロを敷いて、暮らしました。
 窓はありましたが、ガラスがないので、風呂敷をはりました。寒さが身に染むので、防空頭巾をかぶって休みました。
 その頃は、電灯もないので、夜は早く休み、夜の明けるのが待ち遠しいほどでした。主人は、仕事がないので、1日三十円で人夫しておりました。そうして9年を過ごし、昭和29年に、私はこのみ教えに入らせて頂きました。
 できないながらも、み教えに従って参りました。大恩師様のご遺徳と会長先生の御慈悲により、私は本当に多くのご功徳を頂戴いたしました。

六軒の家を建てる
 現在では、小さいながらも兄弟の家、私たちの工場、住居と六軒の家を建てさせて頂きました。
 信徒会館建設の時も、私たちはたとえ柱一本なりとも功徳を積ませて頂こうと思って、いくばくかの布施をいたしました。
 そのとき、私は、自分の工場を建てた時の苦労を思い出しました。借り入れのお金が、なかなか貸して頂けず、夜も眠ることができなかったときのこと・・・・・。
 大きな会館のことですから、会長先生は、いかばかりかご心配なされていることだろうと察して、お功徳を積ませていただきました。会館の建設と同時に、私たちも自宅を新築させて頂きました。
 お金の心配もなく、気持ちもラクに、思うように家を建てさせて頂きました。これも財施の功徳、大恩師さま、会長先生のお慈悲のおかげさまと、心から感謝いたしております。
 護持会にも入会させて頂き、主人の収入もどんどん増え、ひところからみれば、「大名」のような生活をさせて頂いておりますことに心から感謝しております。
 何ごとも、信じて行えば、必ず結果が頂けるものです。法施・財施・身施の布施の修行が、私たちには、もっとも行いやすい道だと思った次第です。
(昭和43年8月・東京都・女性)