布施の功徳
財施の修行3か月前は、ちょうど大恩師様の23回忌法要でございました。どういう順序でございましょうか、その23回忌につきまして、布施の功徳のお話をさせていただくのでございます。
私は横着者ですが、昨年23回忌法要の前に、ご本部から、布施の修行のお許しがあったとき、これなら私にもできそうだと、ほんのわずかでございますが、志納金を出させていただきました。これで、私のケチンボの根性をとらせていただくんだと、少しムリしたのでございます。財施の修行は、布施の一つですが、修行には、かならずムリがつきものでございます。
大恩師・会長先生は、40有余年の修行をなさいましたが、それは、ごムリの連続であったと拝察します。その修行の結果得られました、仏さまの正しい教えを、私たちに惜しげもなく、わけてくださっているのでございます。
この御恩に報いるには、私たちだって、ムリをしなくてはいけないと思って、出させて頂いたのであります。私は、このあいだお亡くなりになりました第2支部長の斎藤新次先生のお話の中で、2つ胸の中にしまっているものがございます。「お金を使うなら、生きたお金を使え。生きたお金とは、法華経を護持するために使うお金のことだ」「悔いを残すな。その時その時に、悔いを残すな。」大恩師23回忌には、斎藤先生のお言葉を思い出しながら、志納金を出させて頂いたのです。
私は電気関係の仕事をいたしておりますが、布施の功徳によりまして、去年の暮は、本当に楽に過ごさせて頂きました。
毎年、暮れの支払いや集金には苦しむのでございますが、昨年は、29日には、すべてを済ませて、いいお正月を迎えさせていただきました。ありがとうございました。
身施の修行
大恩師23回忌の法要につきまして、私はもう一つの身施の修行をさせて頂きました。身施は、財施・法施と同じく、布施の行の一つでございます。先日、私は明治神宮に作られた駐車場の責任者のお役を頂きました。10時頃までには、全部バスが入ってしまうだろうから、あとは、日本武道館で、ゆっくり式典を見ようかなどと、呑気なことを考えておりました。ところが、70なん台というパスが入り終わったのが11時半でした。
式は3時に終わるということだったので、3時10分ごろにバスを出すつもりでおりました。ところが3時になると運転手が、カッカして、「早く出してくれ」というんです。都内には交通規制があって、午後5時になるとバスは都外へ出られなくなるのです。てんやわんやの状態で、私は、武道館に置かれた式典本部とのあいだで、電話連絡をさせて頂きました。
とうとう、その日は、明治神宮にくぎ付けになったままでした。とにかく、責任を終えたので、本部へ帰りました。前々から頼まれていたのですが、次の日の聖地参拝のために使うスピーカーの増幅器を整備しなくてはなりません。
それを家でやろうと思って、車に積もうとしておりますと、理事長先生がお見えになって、「もうまっすぐ家に帰るのかい」と、お尋ねになりました。「いえ、献花に出させていただいた娘を、武道館に迎えにまいります」と申し上げましたら、「そうか、それなら、武道館に着いたら、その時の撤収の状況を電話で知らせてください」ということです。私は、有難くお受けいたしましたが、結果からみると、男子部では、一番遅くまでご奉仕したことになりました。次の日の聖地参拝で、一番前の列で会長先生のお話をうけたまわっておりました。
会長先生は、「みなさん、忙しいのに、昨日、今日と、2日もヒマをつぶさなくてはならないのは、常々横着だからだよ」とおっしゃいました。
それを聞いて、私は頭から冷たい水をザーッとかけられたような気持になりました。私は、本部へは、たびたび足を運びはしますが、ほんとうに、有難い法をお受けする心で来ていたのかどうか。また、いろんなお役を心から感謝してお受けしていたのかどうか・・・・・本当に私は横着だったのだ。
それを大恩師は23回忌を通じて、私にお教えくださったのだとしみじみとわからせて頂きました。本当に有難いことでございました。
(昭和43年・東京都・男性)