病弱な主人と3才の長男、生後1年半の長女と親子4人僅かな生活扶助を唯一の支えとして苦しい日々を送ってまいりましたが、昭和27年7月妙智會に入会させて頂きました。信仰の嫌いだった主人も、夢に教えられ2年近く揉んだ土地明渡し問題の解決に主人の心は、穏やかになりました。
 しかし早く丈夫になることを焦った主人は、手術の結果が思わしくなく、尊いみ教えも深くわからぬまま霊界に帰ってしまいました。幼児を抱え為す術を忘れた私でしたが、森田さんが足繁く見えては教えて下さる言葉に、姿に―そうだ私も―とひとりでお経をあげるようになりました。その後、御戒名を集めるように申され、実家に相談し56躰のご先祖様を集めさせて頂きました。お過去帳に写させて頂く日が参り、何年も持ったことのない筆で一生懸命書かせて頂き、あと5、6躰になった時、顔が熱くなりどうしようもなくなり井戸で顔を冷し、もう少しだと頑張って机に向かうとまた熱くなり3回目に冷しにでた時、法座主さんが来られ、「あなたの先祖にそのような苦しみをされた方があるのです」と言われ、そうかしらと思った途端にすーッと嘘のように治ってしまいました。
 三寶荒神様の誓願を「ぜひお願いします」と言ったもののお金がなくて困りましたが、やっと苦面して拝受しますと、生活扶助料の減額されるところが増額というお功徳を頂きました。長女の入学も近づいたので就職の道をと、毎日のご供養とは別に一生懸命念願致し5月8日に話がありご本部のお慈悲で6月1日より村山療養所へ就職寄宿生活で母子別に暮すことは夫の死別以上に悲しく、ご先祖様のない所に住む頼りなさ「どんな所からでもお経は届く」との事に4時に起き道もない林を抜け狭山湖畔にて御供養させて頂きました。
 方位が悪いので一刻も早く帰るようにと御慈悲を頂き家に帰らせて頂きました。信仰に理解のある院長さんの紹介で、新宿の本院へ廻して頂き、普通八千円の処、一万四百円頂き母子水入らずの生活という御順序を頂きました。
 信徒会館のお話を頂き真心から賛同させて頂き、子どもにもわけを話しました。主人の七回忌に民生委員の方が見え、善行少年少女の話が出てそれが長男と判り、昨年5月5日都知事から表彰されました。上気して帰って来た長男が「御本部会長先生のお陰です」といって喜んだ顔が忘れられません。
 思えば、家中半病人の状態から今日を得ましたことは会長先生の大慈大悲の賜物です。本年こそは一生懸命念願致しまして使命達成に努力させて頂きます。
(昭和35年2月・東京都・女性)