御恩師会長先生のお慈悲により未来永劫まで伝えさせて頂く信徒会館のお話も、御先祖様を思う心の浅い私は、日々の生活のことにとらわれて、尊い資金にもかかわらず、わずか十口の申込みをしたばかりでした。ところが、さる5月4日身延山七面山参拝には私の菩提心がたりなかったため、参拝したい心はありながら、ついに参加できませんでした。
 しかし、支部長さんや皆さんから参拝のお話をきかされまたお山での会長先生のご説法を伝えきいた私はつよく心をうたれました。衣類の行商や、また、少しずつ長年たくわえておいたお金を先ず御先祖さまに差し上げて、使って頂こうと思いたちました。そして五百口ばかり申し込ませて頂きました。信徒会館の柱の一本にでもさせて頂きたいと思ったのです。支部長さんは私の家庭が貧しいことを知っておられるので、5万円の出資もよいが、生活にさしつかえるようではならぬと大変ご心配頂きました。私はありのままを申し上げました。
 即ち、不時の用意にと思って貯めたお金であること。また、金が少しでも貯まると病気や思わぬ難が起こってこないとも限らぬこと。入会以前のことを考えると、家内一同がお功徳を頂いてみんな丈夫で働いているので感謝にたえぬことなどを申し上げました。支部長さんは、ナミダを流して喜んで下さいました。そして皆さんの出資をあわせると八万八百円になったので教会まで支部長さんにお苦労願って持参していただきました。その後、出稼ぎ中だった主人の仕事によいご順序を頂きました。十人ほどの人手が必要になって、その人びとを出稼ぎ先へ連れて行くようになったのでした。
 今までは仕事も思うようにならず、月々送ってもらうお金も5千円くらいが精一杯で、これでは母と三人の子と私の五人暮らしは決して楽ではなかったのですが、信徒会館に真心を持つようになりましたら、早速、このような目に見えたお功徳をいただきました。あんなに苦しい生活だったのに、急に、家の中に光が差してきたようです。信徒会館建設の槌音は、私の家庭の建設の槌音ではなかったか、そんなことを考えつつ、恩師会長先生への感謝を忘れず、本年導きの使命達成を覚悟しています。
(昭和34年7月・山形県・女性)