私は、日本一のかかあ天下であり親不孝者でした。来る日も来る日も夫婦喧嘩に明け暮れ果ては二人の子どもと主人を捨て一か月も家出をした事もありました。主人や両親の苦労はどんなであったかと深く懴悔させて頂いています。
 私は何年か前に入会させて頂きましたが、夫婦喧嘩が忙しくてお経をあげる暇がありませんでした。確か31年と思います。埼玉県上尾市に会長先生宮本先生が御出になり継母に育てられご苦労された宮本先生の御話をお伺いし、泣けて泣けてならなかったのです。なんで泣けたのか分かりませんが、その時からお経をあげさせて頂くようになり、お導きをさせて頂き、清澄山に参らせて頂き、会長先生から親不孝の懴悔のお慈悲を頂き、子どもと夫を捨てて家出した親不孝を泣きながら懴悔させて頂きました。
 今年の2月寒修行のお慈悲を頂き3日目の朝、家に帰りご飯を頂いていますと、今年6年生の長女が「お母さんプレゼント」と言ってゴムの手袋をくれたのです。「どうしてゴムの手袋をくれたの」と申しますと、「お母さんはお勝手をしたりお洗濯をしたり手がヒビで気の毒だから兄ちゃんとお小遣いで買った」といいます。私は有難く早速支部長さんに御礼申しますと「良い子を持つということは有難いですね。金も財産もいらないでしょう」私は身の果報を感謝させて頂きました。いつのまにか2人の子どももお経をあげるようになりました。
 この度、七面山にご順序を頂き宿に就くと急に肩がこり気分が悪くなりました。その時小宮支部長さんが「しょってるから」と申されました。世間の人からは「あすこの家は奥さんがしっかりしているから」といわれいつの間にか上ってしまった事に気づき、懴悔して、無事に七面山に登山参拝してあんな立派な御来光を拝みました。広宣流布と信徒会館の使命達成をお誓いして下山。宿に帰って支部長さんに挨拶すると「みんな連れて来てやりたかった。薄情で申し訳なかった」と信者を思うそのお姿を見て、神々しく、唯々勿体なく言い知れない感激に打たれました。
 その時に「ああ、これが会長先生の御心なんだ」広宣流布とはこの心を多くの人に伝える事なのだと考えつかせて頂きました。
 七面山参拝を終わって10日程後、日本橋の大きな問屋さんとの取引の契約が偶然に成立し、5月には開業以来最高の売上の功徳を頂きました。主人もお前が七面山に参拝させて頂いてからだ。有難い事だと申しております。私のような業障の女がもし御法を頂かなかったらどんなになっていたことでしょう。恐らくは悲惨な境涯に身をさらさねばならなかったでしょう。
 それが会長先生の妙智の教えの尊い御功徳によって現在のような有難い果報の境遇を頂き唯々感謝の外ございません。
(昭和34年7月・埼玉県・女性)