私の主人は優しく智的で太っ腹な人ですが、只悪い事には大酒飲みでした。私は気が小さくひがみ根性が強くて我儘な為、結婚後1年たたない内に主人の道楽が始まり15年間は毎夜2時頃帰ることが続いたので、私の体も段々衰弱して来ました。
その間信仰も色々やって見ましたがみなやめてしまいました。主人が都会議員に立った時、渡辺さんが手伝いに参り、勧められて義理で入会しました。選挙は落選し家計は火の車になり主人は病気で倒れ、病名が判らないので入院することになり用意しておる処に渡辺さんが総戒名のお祀りに来て、主人にお経をあげる約束をしてくれました。その翌日から段々よくなり一か月位で外出できるようになり入院せずにすみました。
それから渡辺さんは毎日のように来てみ教えの有難い話をして下さいましたが、心から聞けずお経も渡辺さんが怖いからあげておりました。ある時主人が十日程家に帰らなくなりました。
さあ大変、私の心は嫉妬に狂い会う人毎に少し変だといわれるようになりました。それでも御本部、親支部と参拝させて頂くうち懴悔のことが段々判って参りまして私のように因縁の深い者はお導きをしなければと思うようになり30名位お伝えした時から、主人のことばかり考えず信者さんの方に心がゆくようになり、初めて生甲斐を感じました。身延山参拝の時、御本部で支部長さんに念珠がない人は受けてゆくように言われましたが、持たずに参りました。
宿屋で急に肺腺が痛み出し夜中でしたが沼田さんや渡辺さんが、お経をあげて下さいました。やっとの思いで帰って来て、いい加減な心で御参拝した事を懴悔しました。
医者に両肺真っ黒だと言われましたが、3日目には台所が出来るようになり、死ぬかと思いましたが親の慈悲で信者さんが5人導いて下さったお陰でよくなり、母は不思議だ功徳だよと泌々と申され、私が少しも感謝がないことに気づきました。
入会当時百万位あった借財も返済致し、大酒飲んだ主人も飲まなくなり、立派な家も建てさせて頂きました。去年は難産の為開腹手術をする処助けて頂き、かわいい女児を恵んで頂きました。何から何まで私には勿体ないくらいの大きな功徳を頂戴致しました。
これも会長先生始め、上々の諸先生よりみ教えを頂いたままに、お導きに精進させて頂いたお陰です。
今年は広宣流布の時と伺いまして、今年こそ御恩に報いることが出来ると思うと唯々、嬉しく一生懸命努力させて頂く覚悟です。信徒会館建立の年を迎え尚一層努力させて頂きます。
(昭和35年2月・東京都・女性)