宮本ミツ会主

宮本ミツ会主は、1900年(明治33年)4月15日千葉県山武郡鳴浜村(現在の九十九里町)に生まれました。

1918年(大正7年)、18歳で隣村出身の宮本孝平(大恩師)と結婚。1934年(昭和9年)夫君孝平とともに霊友会に入会し、昼夜を問わずお経をあげ、導き、五穀断ち、水行など信仰一筋の生活に入りました。夫君孝平が帰幽した後の1950年に同会を離れ、妙智會教団を開教し、会長に就任しました。以来、常に布教の第一線に立ち、会員の教化育成に尽くし、「教えの慈母」「至上の導師」と会員から慕われました。

この間、1952年東京で開かれた第2回世界佛教徒会議代表歓迎国民大会では、日本代表として歓迎の辞を述べました。また1967年には新日本宗教団体連合会副理事長に就任し、平和のための宗教協力の推進に尽くしました。1984年3月28日帰幽。
毎年3月には、千葉聖地に全国の会員が集い、報恩感謝のまことをささげ、正法の広宣流布を誓う日として「会主法要」を営んでいます。